コラム

専門家の目

 一般の人が持ち込んだお宝、骨董品や美術品などを専門家が鑑定する番組があります。自分の持ち込んだ品物が思っていたほど値打ちのないものだと知り、がっかりしたり、逆に親からもらい受けたものでたいしたものではないと思っていた絵画が思わぬ値打ち品であったことを知り、びっくりしたり、その様子を見るだけでもおもしろい番組です。
 先日もある水差しを専門家が鑑定していました。持ち主は骨董品について詳しいらしく、その品の価値に自信を持っていたようです。確かに番組の古伊賀の焼き物についての解説を見たところでは、その色合い、上薬の使い方、形が、今は作られていない古い窯元のものにかなり類似したものであることを伝えていました。ところが、専門家はあっさりそれが最近作られたものだと判断しました。その壺の底の形が当時作られていたものではあり得ないことを見抜いたのです。素人目には気づかないようなほんのちょっとした違いとおもわれていたものが、専門家にとって実は大きな違いであったのです。数々の本物を見た経験から偽物を見分ける術を持ち、品物の歴史的な背景をも知っている専門家と、人の話や書物だけから得た付け焼き刃的な知識を持っている素人の違いを思い知らされる一面でした。
 このような素人と専門家の見る目の違いは医療ではよくあることです。医療機関を訪れた患者さん、深刻な顔をして自分はがんではないかと考えていたところが、実はたいした病気でなかったり、たいしたことがないと思って気軽に受診したら、実は重大な病気が隠れていたり、そのようなことは日常茶飯事です。私は、糖尿病専門医ですので、数多く糖尿病の方を診察しています。手のしびれが糖尿病によるものではないかと心配されて来院する方がいます。糖尿病の合併症としてよく知られていものの一つとして糖尿病性末梢神経障害があります。家庭の医学など一般向けの本を見ると糖尿病の合併症で手足のしびれがおこると書かれています。しかし、末梢神経障害が起こり始めるのは足先や足の裏からであり、よほど進行しない限り手のしびれとしては出ないものです。足の症状が全くないのに、手からしびれが始まる場合は他の原因を疑うことになります。このようなちょっとした違いを見抜けるのが専門家なのだと思います。
 この素人と専門家の違いが分かっていないと、判断を誤ることがあります。民間療法やサプリメントの口コミや広告には、あたかもそれにより病気が治ったかのような体験談が紹介されています。しかし、その診断自体が正確かどうかを疑う必要があります。それが重大な病気だとおもっていたのに、実際はたいした病気ではなった。そのためそのままでも治っていたのかもしれない。ただし、民間療法を受けたりサプリメントを摂取したりしたことから、その効果であると勘違いしてしまった、そのようなこともあるかもしれません。もちろん、素人の判断が専門家もうなるほど適切であることもありますが、それでも専門家による裏付けが必要です。
 巷には健康情報・医療情報があふれていますが、中には怪しい広告情報も紛れ込んでいます。私は医療の専門家としての立場から、1990年代から「健康情報の読み方」(http://www.page.sannet.ne.jp/onai/)と題したホームページを開き、情報の解説を試みてきました。しかし、今は多忙のため、情報を更新することができなくなってきています。今後このコラムを利用し、気になる健康情報・医療情報について私なりの考えを述べたいと思います。

UFOに仕事まで投げ出す紳士たち

元医師でスティーブン グリアという人はUFOにはまり、医師という仕事を投げ出し、UFOを撮影したり、それをメディアに流したり、あげく当局がUFO情報を隠ぺいしているとして情報公開を請求する団体CSETIとかいうものを立ち上げました。アメリカには他にもたくさんの『UFO研究家』がおり、やはり自分の仕事はそっちのけでUFOにうつつを抜かしています。

私はカリフォルニアに住む外科医A氏に会ったことがあります。『宇宙人によって体内に埋め込まれた物体の研究』をやっているというのでした。彼はある女性のおなかに埋め込まれた物質の現物というものを私に見せてくれました。依頼されて自分が手術で取り出した、というのでした。

しかも彼はその物質を州立大学の病院の病理検査部の先生に依頼してその金属様物質が『地球上のモノではない』と報告を受けた、というのでした。すでに各種メディアで発表し、有名な話でした。これは納得ゆくものではありません。癌細胞の組織検査とか皮膚細胞の変異などを中心の病理検査をする専門家が、こともあろうに金属様物質の物理的、化学的特性を調べることなど。

そこで私はこの病理検査の先生にお会いしました。この先生はミュンヒェン大学を出た人でした。私も当時ミュンヒェン大学物理学科の客員教授でしたからにわかに親密になりました。この先生曰く、『私の検査結果は人体の外部から入ったものであることは確かであるが、それは何か、また何故人体に入り込んだのかは分からない』というものでした。 この自分の報告書を捻じ曲げてA医師はメディア向けに『病理検査の結果この世のもではないことが分かった』と発表してしまって自分はいささか困っている、というものでした。

このような情報の捻じ曲げ、壊変、解釈の作為などはUFO家の得意とするところです。 グリア氏の情報公開請求でも、仮に何らかの情報が出たとしても彼等はそれらを捻じ曲げ、拡大解釈をして世をあざむくことでしょう。そもそも世界の政府、情報、諜報機関にUFOの情報などないのです。一部、ある、と伝えられているのは空中に発生した飛行物体、発行物体などの『未確認飛行物体』の情報です。日本の自衛隊、気象庁にはこの種の情報があるかもしれません。とくに気象庁は最近危険な『ダウンバースト』の現象の情報収集をやっていますからその中に発光物体(火の玉)の情報もあるかもしれません。

したがってUFO団体が情報公開請求をやりたいのならやればいいのです。単なるダウンバーストや火の玉の情報が公開されるでしょう。

間違ってもUFO宇宙人が地球人の人体実験をやり、得体のしれない金属様物質が埋め込まれたなどいう情報はないのです。まして『すでに宇宙人がわれわれ地球人の社会にすでに住み着いている』などという情報は絶対にありえません。ないどころかその兆候すらないのです。

SETI計画では宇宙からの電波信号を捉えよう懸命な努力がなされています。もちろん宇宙電波のノイズに混じって何か規則性のある電波信号は受信されてはいますがそれが宇宙人の発した電波信号だという結論は得られていないのです。もし仮に宇宙人の乗り物が地球に接近してこればこの宇宙人の交信する電波が捉えられるはずですがこれも皆無です。

ましてすでに宇宙人がこの地球に住み着いているという情報はウソ八百です。それならその宇宙人は住民票、戸籍などどうして手に入れたのか。それは偽造だというのでしょうか?偽造なら住み着いている宇宙人は戸籍を偽造した犯罪者ということになります(笑)。

それに宇宙人がこの地球に住み着くための予防注射はどうなっているのでしょうか?予防注射なしには、彼等は地球に着陸と同時にさまざまな細菌、ウィルス、その他の微生物に感染してほとんど死亡するでしょう。さらに宇宙人に接触した地球人も次々と死亡するでしょう。

あらかじめ地球側が予防接種しておかなければなりませんがその情報はどのように送られてきたのでしょうか。 このようにわれわれは言語と認定できる宇宙人からの電波信号を傍受しないかぎり宇宙人の飛来を信じることはできません。情報公開請求などナンセンスです。UFO狂信者は言うでしょう。宇宙人ともあろう者が古臭い電波など使うものか、と。 それなら電波でなくて何ですか?え?ニュートリノですか?ニュートリノ、ミューオンの可能性は考えられなくもないですが、高額な装置で、電波信号を使うのがもっとも現実的です。それなら、とUFO狂信家は言うでしょう。『それこそテレパシーだよ』と。

一体テレパシーとは何ですか。だれも答えられないモノなのです。つまり定義も仕様書も現物もない『架空のもの』です。テレパシーの実体も測定の仕方も分からない架空の存在です。このような架空の存在をデタラメな存在といいます。 デタラメなモノをつかってその存在を主張してもそれは所詮デタラメなモノなのです。つまりUFO宇宙人の地球接近と着陸はデタラメなモノということになります。

CSICOP創始者ポール・カーツ追悼

  CSICOPを創始したニューヨーク州立大学バッファロー校名誉教授の哲学者ポール・カーツが、20121020 日に86歳で逝去した。

 

カーツは、19251221日、ニュージャージー州ニューアークに生まれた。高校卒業後、合衆国陸軍に入隊、1944年にはヨーロッパに赴任し、バルジ戦線に送り込まれた。終戦にかけて、ブーヘンヴァルトとダッハウ強制収容所におけるナチス・ドイツの残虐行為を目撃する一方、フランス・ベルギー・オランダ・チェコスロバキア解放の歓喜の輪に加わった。「戦闘と解放」という現実世界の「地獄と天国」の強烈な体験から、彼は哲学を志すようになったという。

 

帰国後、カーツはニューヨーク大学哲学科に進学し、指導教官シドニー・ホックから大きな影響を受けた。ホックは「デューイの番犬」(Dewey's bulldog)を自他ともに認めるジョン・デューイの弟子であり、プラグマティズムとヒューマニズムを哲学的理念として掲げる一方、徹底した反宗教主義と反教条主義を主張したことで知られる。カーツはホックの理念を継承し、かつてのホックと同じようにコロンビア大学大学院で哲学博士号を取得した。カーツが1952年に提出した博士論文のタイトルは「価値論の問題」(The Problems of Value Theory)である。その後、カーツはさまざまな大学で教育経験を積み、1965年にニューヨーク州立大学バッファロー校教授、1991年に退職、同大学名誉教授となった。

 

 哲学者としてのカーツは、「世俗的ヒューマニズム」(secular humanism)の提唱者として知られる。これは「科学的ヒューマニズム」(scientific humanism)と呼ばれることからもわかるように、人間の倫理観や世界観は、純粋に理性的あるいは科学的に到達可能な目標であり、宗教や超自然現象あるいは疑似科学や迷信に頼るべきではないという哲学的理念である。カーツは、1967年から1978年まで雑誌「ヒューマニスト」(The Humanist)の編集長を務め、1973年には世界を代表する275名の知識人から署名を集めて「ヒューマニスト宣言」(Humanist Manifesto II)を行った。

 

 その二年後の1975年、カーツは、ヒューマニスト宣言に反して、社会に悪影響を与えている実例として「占星術」を取り上げた。彼がヒューマニスト誌で組んだ特集「占星術への反論」(Objections to Astrology)は、「さまざまな分野の科学者は、世界中のさまざまな地域で、占星術が以前にも増して受け入れられていることを憂慮している」という言葉から始まる「総意」に基づき、186名の科学者や知識人の署名が続く。この中にはノーベル賞受賞者も18名含まれている。

 

この流れに沿って、カーツは1976年、占星術ばかりでなく、あらゆる占いや予言、テレパシーや超能力、心霊現象やUFOなど、いわゆる「超自然現象」を批判的・科学的に調査する委員会としてCSICOPCommittee for the Scientific Investigation of Claims of the Paranormal)を設立した。委員会の略称を発音すると「サイ・コップ」(Psi-Cop)となり、「サイ(超自然現象)を取締る警察」を指すともみなされた。実際に委員会は、自称超能力者の手品を暴く「デバンキング」(debunking)活動を積極的に行い、自称超能力者ユリ・ゲラーとの裁判闘争で勝訴、いわゆる霊感捜査を取り止めるよう警察を告発するなど、社会に密接に関連した問題に積極的に取り組み、その調査結果を機関誌「懐疑的探究」(Skeptical Inquirer)に詳細に報告した。委員会のフェローやテクニカル・コンサルタントには、数えきれないほどの科学者や知識人が参加している。

 

思い付くままにCSICOPの代表的なメンバーを20名ほど列挙すると、アイザック・アシモフ、スーザン・ブラックモア、フランシス・クリック、リチャード・ドーキンス、ダニエル・デネット、アン・ドルーヤン、マーティン・ガードナー、トーマス・ギロビッチ、マレー・ゲルマン、スティーブン・グールド、ダグラス・ホフスタッター、レオン・レーダーマン、エリザベス・ロフタス、マーヴィン・ミンスキー、スティーブン・ピンカー、ウィラード・クワイン、ジェームズ・ランディ、カール・セーガン、バラス・スキナー、スティーヴン・ワインバーグ……、錚々たる顔ぶれが並ぶ。

 

カーツの代表作『新懐疑主義』(The New Skepticism, New York: Prometheus Books,  1992)は、古代ギリシャ時代以来の懐疑主義を「虚無主義」・「中立的懐疑主義」・「修正懐疑主義」・「不信」などの系統を詳細に分類して批判し、現代社会にふさわしい新懐疑主義として「懐疑的探究」の必要性を説いている。要するに、これからの人類の至上目標は「知的探究」にあり、そのために最も有効な手段として「懐疑主義」を用いるべきだという主張である(ポール・カーツ著/高橋昌一郎訳「新懐疑主義」Journal of the Japan Skeptics: 3 (1994), 35-40参照)。

 

このように「方法論的懐疑」をプラグマティックに活用すべきだという立場は、すでに多くの哲学者が提起してきたという歴史的経緯もあり、とくに目新しいものではない。しかし、カーツが誰よりもユニークなのは、たんに「懐疑的探究」の必要性を抽象的に説いたばかりではなく、これをスローガンとして団体組織化し、社会に生じる具体的な問題解決の手段として用いた点にある。

 

 カーツは「科学が飛躍的に発展し、地球が科学的発見や先端技術の応用によって変容しつつある現代に、反科学思想が強力に蔓延しているという状況は、実に皮肉である」と述べ、「科学共同体とそれに関与する人々が、科学に対する攻撃を真摯に受け止めようとしない限り、反科学思想が勢いを増大させることは明らかである」と危機感を表明している。(ポール・カーツ著/高橋昌一郎訳「反科学思想の状況」Journal of the Japan Skeptics: 4 (1995), 3-9参照)。

 

2006年、30周年を迎えた機会に、CSICOPは広義の立場からカーツの理念を実現できるようにCSICommittee for Skeptical Inquiry)と名称を変更した(http://www.csicop.org/参照)。CSIの理念に賛同する国際組織は60を超え、JAPAN SKEPTICSもその一組織である。カーツは亡くなったが、彼の理念は世界中で生き続けていると言うことができるだろう。

 

なおカーツは、無数のスピリチュアル系書籍に対抗するため、自らプロメテウス出版社を設立し、「売れる」スピリチュアル系作家を抱える大手出版社が嫌がる「売れない」懐疑主義系書籍を数多く発行したことでも知られる。カーツ自身、50冊以上の啓蒙書を出版しているにもかかわらず、残念ながら日本語に訳された書籍は一冊もない。また生涯に800を超える論文や記事を執筆しているが、こちらも私の知る限り、上述の拙訳二編しか日本語訳は存在しない。彼の理念や方法論は、日本の読者にとっても貴重な意義を持つものだと思う。どなたか有志に訳していただけたら幸いである。

マイケル・シャーマーと疑似科学

人間は基本的には、疑似科学的信仰に陥るように出来ているとする、マイケル・シャーマーの議論を紹介し、議論する。

 

マイケル・シャーマー

マイケル・シャーマー(Michael B. Shermer, 1954-)はアメリカでスケプティックス・ソサエティーを立ち上げ、現在は雑誌スケプティックの編集長をしている。アメリカのスケプティックス・ソサエティーは会員が55,000人以上あると言うから、日本のそれとは大きな違いだ。シャーマーはまた雑誌サイエンティフィック・アメリカンでコラムを連載している。シャーマーは大学で心理学を専攻し、1992年にスケプティックスを創始する前はオクシデンタル大学で科学史の教授も務めているた。

 

私はうかつなことに、シャーマーを知らなかったのだが、数年前に彼の著書を翻訳すべきかどうか、本を読んで内容を教えてほしいと、ある出版社から言われて、大部な英語の本を送ってこられた。その本は「信じたい脳、幽霊、神から政治、陰謀論まで-我々はどのようにして信念を作り上げ、強化し、それを真実と考えるのか The Believing Brain, From Ghosts and Gods to Politics and Conspiracies-How We Construct Beliefs and Reinforce Them a Truths」である。私はその本を読んでみてとても面白いと思ったのだが、その出版社は結局は翻訳しないことに決めた。というような経緯で私はマイケル・シャーマーを知るようになったのである。

 

TED

以下のシャーマーについての私の文を読んで、シャーマーの議論に興味を持たれたら、ぜひTEDのビデオを見ることを勧める。TEDとは「広げる価値のあるアイデアIdeas worth spreading」を各界の名士に語ってもらう番組である。20分程度以下の、短い要領よくまとまった話で、TEDの講演はプレゼン技術の参考としてもとても役に立つ。TEDのすごいところは、ボランティアの力で、いろんな言葉に翻訳されていて字幕がついていることだ。日本語もあるので、英語が苦手の人にも問題はない。さらに全文がアップされている場合がある。だから英語の勉強にも、非常に役に立つ。私は学生諸君に次のような方法を勧めている。まず日本語で全文を読み概要をつかむ。次に日本語の字幕で見る。さらに英語の字幕で見て、最後に字幕なしで見る。

 

シャーマーはTEDで2回講演しているが、最近の「自己欺瞞の背後にあるパターン」を紹介する。このビデオの最後の部分は抱腹絶倒である。人間がいかに信じやすいか、だまされやすいかよくわかる。

http://www.ted.com/talks/michael_shermer_the_pattern_behind_self_deception.html

 

タイプ1の間違いとタイプ2の間違い

シャーマーは次のようなたとえ話から始める。 300万年前のアフリカのサバンナである。 原始人がサバンナを歩いていた。薮があってガサガサという音がした。風かもしれないし猛獣かもしれない。そこである人はそれが猛獣だと思って慌てて逃げた。ところが実際は風であった。つまり間違いである。この種の間違いをシャーマーはタイプ1の間違いと呼ぶ。一方、別の人はそれが風だと思って逃げなかった。ところが実際は猛獣であったのでその人は喰われてしまった。この種の間違いをシャーマーはタイプ2の間違いと呼ぶ。タイプ1の人は怖がりすぎ、タイプ2の人は怖がらなさ過ぎの人である。タイプ2の間違いを犯す人は、進化の過程で淘汰されていなくなる。だから生き残っているのはタイプ1の間違いを犯す人たちだけである。つまり人間は基本的に怖がり過ぎるようにできているのだ。

 

パターン性

シャーマーはさらにパターン性と彼が呼ぶ概念を紹介する。人間が不完全な情報を得たときに、その背後に隠れているパターンを想像で補う。人間はこのような能力を進化の過程で得て、脳に組み込まれていると言う。この考えはシャーマーの説ではなく、心理学で分かっていることだ。 問題は往々にしてその想像が間違いである場合が多い。これが錯視、錯覚の原因である シャーマーはそれを多くの例で示す。

 

日本の例で言えば「幽霊の正体見たり枯れ尾花」がそれであろう。暗い野中の夜道で、枯れたススキを見て、それを幽霊と間違えるということである。人間はわずかな情報から、その背後にある膨大な情報を推測する性質があり、しかもその背後に人格性を付与するというのである。幽霊は人格である。

 

人間はこのようにして、信じやすい、だまされやすい存在であるとシャーマーはいう。神、天使、魂、幽霊、UFOに乗った宇宙人、これらはすべて人間の妄想の所産であるというのである。また人間は批判的、合理的、理性的、科学的な考え方は不得意であり、科学は非人間的な営みであるとまで言う。

 

要するに疑似科学的、非科学的な考え方は、人間に本来備わったもので、それを改めるには、批判的、科学的な思考が求められるのだが、それは非常に困難なのだ。

 

最後に

ここでは主としてシャーマーの議論を紹介した。戦前に活躍した著名な物理学者寺田寅彦はあるエッセイで「ものをこわがらなすぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなか難しいことだと思われた」と書いている。

 

この問題は人間の理性と感性、科学的思考と疑似科学的思考などと関連して、非常に深いテーマである。今後、さらに議論を深めて行きたい。